私のパワーと使い道『わが家のある程度の環境』

エッセイ


『わが家のある程度の環境』第一弾は、自宅で介護をする家族のマンパワーとお金について書きましたが、今回は、私のパワーとその使い道についてです。

私は1982年生まれで、2023年現在41歳です。

夫と結婚したのは、私が35歳のとき。

当時、70歳だった夫は、すでに認知症をわずらっていました。

人は、自分以外のなにかに対して、自分のパワーを惜しげもなく、長期間にわたり注ぎ込むことがあります。

代表的なのが、子育て。

自分以外の人間に、自分のこと以上のパワーを注ぐ。

自分以外の人間に、自分のこと以上の時間を使う。

自分が倒れかけているにも関わらず、自分のことよりも優先順位の高い人間の存在。

気力や体力が限界を超え、自分のことであれば、寝る以外なにもしないような状態でも、わが子のことであれば、少なくとも最低限のことはする。

若すぎれば、自分自身のことで、心や頭がいっぱいいっぱい。

歳をとれば、自分のことをするだけで、体がやっと。

人の一生のなかで、心と体の両方が充実する時期に、多くの人が子育てをし、私は夫の介護をしています。

夫の認知症の症状に振り回され、私が精神的に最も追い詰められていたのが、38歳から39歳のときでした。

心が極限まで追い詰められても、なお、私は、自分の体を動かさないといけないときには、動かすことができた。

私が今、自分の体を動かさないと、夫の身に危険が及ぶかもしれなかったから。

『動かさないと』と思って、自分の体を動かしていた。そう思わないと、動かなかった。

自分の体に、自分で鞭を打つ。それは、目に見える部分を傷つけることはありませんでしたが、私の心身を追い詰めていった。

来る日も来る日も、そんなふうに自分の体を動かしながら、『これが老々介護だったら、動かないな』と、感じていた。

自分自身が追い詰められながら、多くの家庭で、家族の施設入所を決めるタイミングが、ここなのだろうとも、考えていた。

無理やり体を動かし続けたら、近いうちに、起き上がれなくなる日が来る。

自分の意思とは関係なく、体が動かなくなる日が来る。

介護疲れで体調を崩す人がいる。肉体を酷使して体を壊す人がいる。病気になる人がいる。

そのことを身をもって感じていた。

事実、私の体にも、不調は表れていた。けれども、かろうじて動けたし、倒れることも、寝込むこともなかった。

それは、私が元々持っていた頑丈さや柔軟さに加え、私の気力と体力が充実した時期であったこと、さらに、夫に関すること以外は、ほとんどしなくてもいい環境だったから、だと思っています。

介護する家族が、自分の精神や肉体に限界を感じて、介護が必要な家族を施設に入所させる。

それは、そうしなければ、しかたがなかった、こと。

そうしなければ、自分の身がもたなかった。

それは、わかっている。でも、後悔がつきまとう。

夫と一緒に、認知症の人の家族の集いに行くと、自宅での介護に限界を感じ、家族を施設に預けた人たちが、周りの状況によく反応し、よくしゃべる夫を、切なげな目で見ていることがあります。

きっと、家族の手を握り、笑顔で話しかける毎日を送りたかったのだろう。

施設に会いに行っても、わずかな反応しか返ってこない。

いくら施設のスタッフさんに「ご家族が会いに来てくれているから、いつもより表情がいい。いつもより反応がある」と言われても、家族が比べるのは、家にいたときのその人。

寂しさを感じ、さらに、そうなってしまったのが『認知症が進行したからだけ』だとは思えず、悔しさがつのる。

自宅で暮らしていたら、もっと刺激のある生活をさせてあげられたかもしれない。

あの時、もう少し自分ががんばっていれば、あの時、施設に預けていなければ、今でも、いろんな表情が見られたのではないか、今でも、もたくさん声を聞くことができたのではないか。

後悔がつきまとう姿。

その姿を見ていて、私と夫がこの場にいていいのかと、感じるときすらあります。

私と夫を見て、自分ががんばっていれば、まだ、自宅で家族と一緒に暮らせていたのかもしれないと思う人。

そして、がんばれなかった自分を責め、できなかったことを後悔する人。

私と夫の存在が、在宅介護を続けたくても、続けられなかった人たちに、追い打ちをかけているのではないか。

そう思う瞬間があります。

そんなとき、私には、その人たちに、かける言葉がありません。

在宅介護は、介護する家族のガマンやがんばりが、家庭の崩壊につながる恐れがあることを、私は、自分の感覚として知っている。

たとえ、そこまでいっていなかったとしても、その人が、家族を施設に預けたことは、誰も責めることができない判断だと、私は思う。

けれども、その判断をした人自身が、自分自身を責めている。

その姿を見て、その決断を未だにしていない私が、実際にその決断をした人に、なにを言えばいいのか、私にはわからない。

認知症になった家族と、一緒に暮らす。

その望みを叶えられるかどうかは、『ある程度の環境』を整えることができるかどうかにかかっています。

私は、その環境を手に入れるために、私のパワーと時間を惜しげもなく注ぎ、手を尽くしてきました。

『私と夫、ふたりで一緒に楽しく暮らす』

私は、その一兎を着実に追った。

私にとって、それが最優先で、それ以外にやりたいことがあっても、両立が難しければあきらめた。

私の人生の中で、気力と体力が最も充実しているであろう時期に、この一兎だけは絶対に逃すまいと、追い続ける。

そこまでして、私は、今、この生活を掴み取っています。

そこまでしても全く惜しくないほど、夫との暮らしは、私にとって魅力的だから。

そして、在宅介護を続けていくには、それほどの気力と体力が必要になると、私は感じています。