私はどうも、
既存の言葉で自分にラベルを貼ることに
違和感を覚えるようだ。
例えば、
言語化力、あると思う
自己肯定感、あると思う
メタ認知力、あると思う
(メタ認知に関しては、おそらく異常値)
ここで止まること、
自分にラベルを貼って終わることができない。
自分がどのような認識によって、
自分に言語化力や自己肯定感、
メタ認知力があると思うのか。
私は、それを自分の言葉で説明することができる。
自分に言語化力や自己肯定感、メタ認知力が
あるとかないとかでは、なく
自分の言語化力や自己肯定感、メタ認知力には、
どのような特性、特徴があるのか。
私は、そこに興味がある。
私は、
自分の言葉で自分を発見するのが
好きなんだ。
なぜ、最近こんなことをつらつらと書いているかといいますと、
夫の不穏や不安、怒りの発露で、
私と夫がともに追い詰められていた時期、
私がポキっと折れずに粘れた理由が
自分の感情理解にあったからなんです。
自分がなにに腹を立てているのか
なぜ今、自分は怒りが抑えられないのか
夫のどのような行動が、自分をどう悲しませるのか
それを自分の言葉で理解しようとしていた。
私が自分の言葉を記録し公開するのは、
承認欲求ももちろんあるけど
それよりも、今、
自分自身を追い詰めてしまっている誰かが、
私の思考のしかたを参考にすることで、
自分自身を追い詰めている思考のブレーキになることを
期待しているからです。
けれども、私の言葉をそのまま鵜呑みにするのは、やめてほしい。
よくSNSで見るの
「まさにそれです!」
「ピッタリあてはまります」
「それです、それ」
いや、一旦、
自分の頭で咀嚼して、
自分の言葉で反芻しよ。
全く同じなんて、ありえんのだから。
「なんとなく、わかる」
このなんとなくに、
あなたらしさが詰まってるのだから。
それについてはこの記事↓に近いことを書いてます。