夫の荷物を整理していたら、同じことが書かれたメモが何枚も出てきた。
夫の字で書かれた、成田空港に行くためのバスと電車の時刻。
それは、夫が、私に会いに、成田から関西空港行きの飛行機に乗るために書いたもの。
夫がそのメモを書いたのは、夫が初めて認知症外来を受診した、1年以上前のこと。
病院に行くことを強く拒む夫を、私が泣いて頼んで、なんとか認知症外来に連れていたったのが、2018年の1月。
その1年以上前から、夫は、通常の老化の範囲を超えた、物忘れと物覚えの悪さが目立つようになっていた。
なにごとをするにも億劫がって、やらないことが増えたのもこのころだ。
そんな夫が、バスと電車、飛行機のってまでやろうとしたことは、私に会いにくることだった。
それは、私たちがまだ結婚する前、夫が千葉に私が大阪に住んでいたときのこと。
夫がメモを書くために、バスと電車の時刻を何度も教えたのは、私だった。
インターネットを使って時刻検索することが難しくなっていた夫に頼まれて、私が調べて、電話で夫に教えた。
私は、夫がメモを失くしてしまい、それで何度も私に、バスと電車の時刻を聞くのだと思っていた。
けれどもメモは、夫が当日使っていたリュックサックの複数のポケットから出てきた。
夫はメモを大切にしまっていたのだ。
そして、しまったことを忘れたか、しまった場所を忘れていた。
夫の認知症が極初期のころ、私には、夫の物忘れが、通常の老化なのか認知症なのか区別がつかなかった。
私が、夫が認知症かもしれないと本格的に疑い出したのが、たぶんこのころ、夫が何度も同じことを電話で聞くようになったころ。
めんどくさいなと思っていたけれども、夫は、私に会うために、同じメモを何枚も書いた。
そのメモを見つけたとき、当時の夫の心細さと、私に会いに来るための夫のがんばりを思い、泣けてきた。
そして、そんな私の傍らには、メモを書いた時よりも認知症の症状がすすんだ夫がいた。
そのとき私は、今、夫の傍にいれてよかった、と思った。
夫には、相変わらず不安なことがたくさんあるだろうけれども、少なくとも私が傍にいれば、夫はひとりぼっちではない。
なにか聞きたいことがあれば、すぐに聞ける相手がいる。
短時間に同じことを何度も聞くので、私がイライラして怒って、しょっちゅうケンカをするけれども、少なくとも夫はひとりぼっちではない。
夫がひとりぼっちの心細さを感じずにいられる。
誰ともケンカしないけれども、ひとりぼっちなのと、しょっちゅうケンカはするけれども、誰かが自分の傍にいてくれること。
どっちがいいかは人それぞれだろうけれど、私は、夫が今ひとりぼっちじゃなくて、よかったと思った。