認知症について『周辺』という言葉が使われるとき、それはたいてい『周辺症状』について語られる場面です。
認知症の症状は、大きく『中核症状』と『周辺症状』の2つにわけられます。
『中核症状』とは、ものが覚えられなくなる、火や刃物の危険性がわからなくなる、今がいつなのか、ここがどこなのかわからなくなる、段取りよく行動できなくなるなど、脳の神経細胞の障害によって起こる認知機能障害のこと。
その『中核症状』に、認知症の人自身の体や心の状態、認知症の人を取り巻く環境や生い立ちなどが相互作用して表れるのが『周辺症状』です。
夫の場合(一例)
自宅を自宅と認識できず、今、自分がどこにいるのかわからなくなる『中核症状』。
それによる不安から『安心できるところに行きたい。家に帰りたい』という帰宅願望が生まれ、自分の居場所である、安心できる家に帰ろうとして徘徊する。
今いる場所がわからないことによる不安感や帰宅願望、それによる徘徊が『周辺症状』です。
では、認知症の『中核症状』や『周辺症状』に振り回される認知症の人の家族に表れる不調や症状は、なんと表現されるのでしょうか。
私の場合(一例)
夫にどう寄り添ってあげれば夫が心穏やかでいられるのだろうかと、夫のために心を砕き、細心の注意を払って接しているのに、夫がいきなり怒り出す。
夫が心地よく暮らせる家であるために心を配っているのに、夫が「ここは自分の家じゃない。帰る」と言って家を出ていく。
そんなことが繰り返されることで、自分の心を否定されたような辛さや悲しさ、負の感情が生まれ続ける。
理不尽やがまんの繰り返しに耐え続け、疲労が蓄積されていく。
心のバランスが崩れ、それが体にも表れるようになる。
なんでもないのに涙が流れる。空腹感はあるのに食欲がない。眠たいのに眠れない。夜中、何度もトイレに行きたくて起きる。
夫に対して、今までなら怒らないようなことで直ぐに怒って、手が出てしまう(暴力)。
夫のことが大切なのに、腹が立つと「早く死ね」と思い、さらに言ってしまう(暴言)。
これらは、夫の認知症の症状に端を発し、夫の傍=周辺にいることで私に表れた症状です。
なら私のこの症状も、認知症の『周辺症状』なのではないかと思ってしまう。
医学的にみれば違うだろうし、私のこの状態に認知症の症状と同じ『周辺症状』という言葉を使ってしまうと、認知症の医療や介護、看護の現場が混乱してしまうでしょう。
なので仮にこれを『影響症状』と名付けます。
影響
新明解国語辞典 三省堂
力や作用が大きく(強く)て、関係する他のものにまで変化が及ぶこと。
認知症には大きく分けて『中核症状』と『周辺症状』の2つの症状があり、さらに、日々その2つの症状に接し続けている家族が『影響症状』という不調をきたすことが多くある。
こう書くと、とても説明がしやすいです。
介護や医療の現場では、認知症の『中核症状』や『周辺症状』には、支援やケアが必要であると、広く認識されています。
そこに加えて、認知症の『中核症状』や『周辺症状』の影響を受けて家族に表れる『影響症状』にも、支援やケアが必要であると、もっと広く認識されてほしい。
今でも、介護する家族への支援やケアの必要性は、認識されていますが、今の状態では全然足りていません。
認知症に限らず、家族を介護する人たちを支援しケアする専門職が必要だと、私は考えています。
『影響症状』が悪化すれば、介護うつなどの精神疾患や伏せってしまうほどの体調不良になってしまうこともあります。
また、家族の誰かが認知症になったことで、その家族全体が壊れてしまうこともある。
認知症という病は、認知症になった本人だけでなく、その周辺にいる人をも蝕む。
介護する家族が支援されずに孤立し、メンタルケアもされていなかったために、悲しい事件が数多く起きています。
なぜ介護する家族に対する支援やケアがされなかったのか、または遅れたのか。
それは、介護する家族ための制度の未熟さに加え、介護する家族自身が支援やケアが必要な状態になっていることを早期に自覚できなかった。また、周りにいる人たちが、家族がそのような状態であると気づいてあげられなかったから、ではないでしょうか。
不調を自覚できなければ、支援やケアにつながることが難しくなります。さらに、支援やケアの介入が遅れれば、問題が複雑化します。
本人や周りの人が早く不調に気づくためにも、『影響症状』など、その状態を表す言葉が必要だと考えます。
介護する家族に、支援やケアが必要となる『影響症状』が表れることが広く知られるようになれば、悲しい事件を回避できるかもしれません。
『周辺症状』の『周辺』という言葉は、『中核(症状)』に対して、その周りという意味で使われているようです。
その『中核症状』と『周辺症状』のさらに周りにいる家族にも、認知症の影響は強く及ぶ。
認知症の『中核症状』と『周辺症状』が併せて、支援されケアされるのと同じように、認知症の人とその家族が併せて、支援されケアされるようになることを願っています。