自分がしたことを、相手の立場で考える。
この問いには二つの層がある。
一つは、自分を通して考える層
自分がされたら、どう感じるか。
もう一つが、相手の視点で考える層
相手にとって、自分がしたことは、
どのように感じられることなのか。
多くの場合、思考は、
自分がされたら、どう感じるか
で止まってしまう。
でも、これだけでは、
相手の本質は見えてこない。
介護拒否が強い人。
例えば、入浴拒否が強い利用者さん。
この利用者さんを
入浴まで導ける介護職の人は、
利用者さんの拒否にある深層心理を、
丁寧に読み解き、深く読み取れる。
自分の感じ方を横に置き、
相手の感じ方を、感じようとしている人なのだと思う。
共感とは、
自分の感じ方を相手に乗せることではなく、
相手の感じ方に触れようとすること。
これが、今まで私が共感という言葉に
違和感を覚えていた正体や。
「共感することが大切」とか、
そんな生ぬるい感覚で発していい言葉じゃない。
生ぬるく発されると、
「みんな友だち」とか、クソみたいな言葉と
同じ部類の言葉になってしまう。
生ぬるい言葉は、
言葉の本質を殺す行為や。
同感は、
同じように感じることであって、
感じたことが同じという意味ではない。
近いことはあっても、一致することはない。
白と言ったとき、
私の白と相手の白が一致することは、ない。
アンミカ曰く「白は200色」あるらしいけど、
実際には、
白、という言葉を知っている人の数だけ、白がある。
共感は、
相手の白を知ろうとする行為。
白、という言葉にあるのは、色だけではない。
その人にとって白が持つ意味。
その人が白を感じたときの感情。
その人の白になるまでの背景。
それらが合わさって、
その人の白になる。