ー自己肯定感とは、自分の中の柔軟性を高めるための概念ー
自己肯定感があれば優で、なければ劣なのか。
自己肯定感という言葉が間違った認識で使われることが、しばしばある。
「自分を好きでいること」
「自分に自信があること」
「周囲に影響されない心の強さ」
これらは本来の自己肯定感ではない。
自己肯定感とは、どんな自分であっても、それが自分だと受けとめられる感覚。
その感覚の中にある自分には、否定したい自分も含まれる。
否定したい自分を含めての自分を認める。
なぜ自己肯定感が、間違った意味で使われることが多いのか。
それは、「肯定」という言葉に、ポジティブさが含まれているからだろう。
しかし、自己肯定感の肯定は、ポジティブとは違う。
さらに、肯定の反対語である否定に含まれるネガティブさのせいで、肯定感の中には、否定したい自分、ネガティブな自分は含まれない、という感覚が生まれてしまう。
私にとっての自己肯定感とは、
自分の唯一性に対する納得感
「ああ、自分はこういう人間なんやな。自分のことが好きでも嫌いでも、自分はこういう人間なんやな」。
そう思いながら、自分を自分のまま承知できること。
さらに、自己肯定感があることが、いいことで、なければダメ、なんてものでもない。
自己肯定感があれば、生きていきやすいかもしれない。
でも、自分には自己肯定感がないと思うことで、自分を劣った人間だと思ってしまうのなら、自己肯定感なんていう概念なんか、手放してしまえばいい。
そんなもんなくても、生きていける。
そんなもんなくても、幸せになれる。
そんなもんなくても、他者を幸せにできる。
自己肯定感なんかクソくらえや。
もっともらしい言葉使って、他人のことビビらせて振り回してんちゃうぞ。
いくら自己肯定感があっても、自己肯定感がない人をあさげ笑うような人間がどんな人間か、よう考えてみろ。
私は、自己肯定感という概念を否定しているわけではない。
ただ、自分の中の柔軟性を高めるための概念で、自分を縛りつけることになってたら、本末転倒やろ。
自分の中の柔軟性
自分の振れを、自分のものとして抱えられる。
自分の心が折れそうになったら、折れないように揺らいであげられる。
理想とは違う自分を否定せずに、触れられる。
自己肯定感は、人をはかるためにあるのではない。
自己肯定感は、自分を抱きしめるためにあるんや。