その人らしく生きる、とは。 – 1 – らしさと恋しさ

シリーズ
ー認知症になっても、その人らしく生きられる社会ー

このシリーズは「認知症になっても、その人らしく生きられる社会」という言葉に対して、
夫とともに暮らしてきた経験から、私が感じたことの記録です。


「その人らしく生きる」

このらしさ、とは、いったいなんなのでしょうか。

【らしさ – その人が備えている性質や特徴、雰囲気】

つまり、らしさとは、個性であり、「その人らしく生きる」とは、

その人の個性に合わせて生きること

そう、私は解釈しました。

ですが、私は、この「その人らしく生きる」という言葉から、
言葉の誤魔化しや逃げを感じるのです。

認知症により、らしさが変化していく夫の姿を通して、
「認知症になっても、その人らしく生きる」という言葉を読んだときの私の違和感。

それが、
その人らしさに対する、期待と希望と心地よい幻想。

社会がその人らしさに配慮できれば、いい社会になるような気がする。
ケアする人がその人らしさに配慮できれば、いいケアができるような気がする。
その人らしさに配慮してもらえれば、幸せに暮らせそうな気がする。

確かに、そんな気がする


「認知症になっても、その人らしく生きられる社会」

これは、過去の認知症の人たちに対する社会の反省から生まれた言葉なのかもしれない。

でも、私には絵空事にしか聞こえない。

今までのその人らしさが変化していく、
日々、それを目の当たりにしている家族や介護者のことを、
どこまで思って考えた言葉だろうか。

さらには、
らしくありたかった自分が失われていく人たちのことを、
どこまで思って考えられた言葉だろうか。

私は捻くれてるんです。
それはよくわかってる。
でも、素直にこの言葉を受け取れない。

スローガンは必要だけど、スローガンのコピペは、元の意志を腐らせる。

確固たる信念なく発されると、それは綺麗事になる。

そんな気がする

ここで終わっていたらスローガンの意味ないでしょ。

さらに私は、このその人らしさに、
その人らしくあってほしさを感じるのです。

自分の記憶の中の、その人らしくあっていてほしい

認知症の症状により日々変わりゆくその人と、
どうにか折り合いをつけて暮らしている家族。

らしくあってほしさ、それが目の前で変わりゆく、悲しさ辛さ。

本来、その人らしさとは、その人の過去の断片の継ぎ合わせでしかなく、
移ろい変わりゆくもの。

なのに、その人らしさを求めるあまり、
過去のその人らしさに執着してしまうかもしれない。

その人らしさとは、恋しさであり、恋ゆえの幻想かもしれない。

その人らしさへの募る思いは、尊重されてしかるべきですが、
その思いが強くなりすぎると、
その人の変化を受け入れづらくなるかもしれない。

私が認知症の症状とともに変化し続ける夫と暮らしたこの7年間で得た実感。

それは、変化を受け入れられなければ、前を向けない。

認知症の症状とともに暮らすということは、
刻一刻と変化するその人らしさに対応するということ。

たとえ温厚で、過去に一度も怒鳴ったり殴ったりしたことがなかった人でも、
今、怒鳴ったり殴ったりしたとすれば、
それは、その時のその人らしさなんです。

病がそうさせてるのかもしれない。
でも、その病も含めて、その人らしさなんです。

暴言や暴力を許容する必要なない。

でも、その時のその人らしさを否定すれば、その人のことが見えなくなる。

その人らしさというのはね、そんなに生やさしい言葉ではない。

ーつづくー


スローガンを考えた人は一生懸命考えたんだよ。
きっと。
現場や現実を知らなかったとしても。
でもね、タダ乗りライダーが薄く薄くしていくの。
いつだって