鏡に映る自分と話す 夫の鏡現象


認知症の症状の一つに、鏡やガラスに映る自分に話しかける鏡現象かがみげんしょうというものがあります。

これは、夫が鏡に映る自分と話している動画です(2021年9月撮影)。

この動画を公開した意味は、鏡現象の紹介という部分もありますが、それよりも私は、夫が話す内容に注目してほしいと思っています。

鏡現象は一般的に、本人は鏡の中の自分を他人だと認識して話しているといわれています。

ですが私は、この動画を見ていて、夫はもしかしたら自分自身に話しかけているのではないか、と感じました。

私たちも、自分自身に問いかけながら、なにかを考えることがありますよね。

私は、そんなとき、私の頭の中で誰かに語りかけています。そして、深く考えているときほど、無意識に声が出ています。

その誰かとは、自分のときもありますし、誰か特定の人を想定しているとき、または、誰とも知れぬ人、とさまざまですが、私は誰かに向けて話しながら考えているのです。

それが夫の場合は、自分を見て、自分に話しかけながら、自分のことを考えている。

私が頭の中だけでおこなっていることを、夫は鏡の力を借りておこなっている。

私には、このときの夫の姿が、そういうふうに見えるのです。

「ちゃんと、きちっとできるでしょって、思ってると思うんですよ、ぼくは」
「そういうことで、ちゃんとしようって思っていましたけど」
「だからどうしていいかわからないんですよ、本当に」
(中略)
「すいませんね。ちゃんとしたことなんか、できないのかもわかんないぐらいなバカなものだから」

夫のこの言葉の意味を私が読み解いても、それは一面的な解釈にしかならないので、そんなことはしませんが、これは紛れもなく夫の心情の吐露です。

動画の中で夫が何度も「ちゃんと」と言っています。

これは夫の口癖で、昔から「ちゃんとしないといけない」という思いが強い人でしたが、認知症になってから「ちゃんと」と口にすることが増えました。

認知症になったことで「ちゃんと」できなくなっていく自分への問いかけ。

そんなふうに私には思えます。

認知症によって脳機能が低下し、頭の中だけで自問自答することが難しくなった。でも、失った機能を鏡で補うことによって自問自答している。

もしそうだとしたら、夫にとって鏡現象は、自分自身と話すための頼みの綱かもしれません。

鏡に映る自分を『もう一人のその人』と表現されているブログがありました。

『もう一人のその人』『もう一人の自分』は、誰の心の中にもいると思います。

だから、認知症の人が鏡の前で会い、話しかけているのが『もう一人の自分』、自分自身であったとしても、なにも不思議ではありません。

“もう一人のその人”

特別養護老人ホーム 心花春 施設長ブログ


鏡現象は、一時期、たびたび夫に見られた症状です。

動画のように、鏡に映る自分自身と話しているようなときもあれば、友だちと楽しそうにおしゃべりしているようなとき、不審者だと思って追い出そうとしているときもありました。

デイサービスでは、玄関にある鏡に向かって「ここから帰りたいけれど出口がわからない。どこから帰るかわかりますか?どうしたらいいですか?」というような相談をよくしていたそうです。

夫は社交的で人と話すのが大好きなので、私は、夫の鏡現象を夫らしい症状だなと思って見ていました。

鏡現象のことを調べていたら、素敵な考え方だなと思ったコラムがあったので一部を紹介します。

鏡に映し出された自分の姿を他人と認識し、話しかけたり物を手渡そうとしていたとしたら、それはその人の豊かな社交性や優しさがあればこそ、と思えてきます。

相模原市 認知症疾患医療センター センター長コラム

鏡現象も認知症の周辺症状ですが、鏡に映る自分を不審者や怖い人、嫌な人と認識していないのであれば、そんなに気にする症状ではないと私は思います。

むしろ私は、鏡さんが夫の話し相手をしてくれるので、とても助かりました。

ただ、夫の機嫌が悪かったり、ガラスに映るぼんやりした姿なんかだと不快な反応をしたので、そんなときは鏡を移動したり、移動できなければ新聞紙を貼ったり布をかけて見えなくしていました。

本筋とはズレますが、恥ずかしながら私は、先ほどまで『鏡現象』を『かがみげんぞう』と読み、『原像』の意味で『鏡現象』を解釈していました。

『現象(げんしょう)』人間が知覚することのできるすべての物事
『原像(げんぞう)』もとになる像

そう考えると、私が見る、動画の夫は、鏡の中に自分自身(もとになる像)を見ているのですから、『鏡原像』のほうがより適当な気がします。

他人に伝えるためには、伝えたい内容に合う言葉を使う必要がありますが、私の頭の中だけで考えているのなら『現象』でも『原像』でも『現像』でも『げんしょう』でも『げんぞう』でも漢字でもひらがなでも、問題ありません。

私は頭の中で考えるとき、なんとなく雰囲気で言葉を使っています。たぶん、そのまま声に出してみても他人には、ほとんど理解できないでしょう。

最近の夫は、単語が出てこなくなっていて、話す言葉の多くが指示語や代名詞なので、夫の話したいことがなんなのか、私にはわからないことが多々あります。

そう思うと、夫の話す言葉は、まるで私が自分の頭の中で考えているときのようです。

そのことに今、気づきました。

それに気づけたことでこれから先、今までと違う聞き方で、夫の話が聞ける、そんな期待を感じています。