夫の認知症の症状

エッセイ

さまよい歩く

認知症の人がひとりで外出して道に迷ってしまうことなどに使わる「徘徊」という言葉を別の言葉に言い換える動きがあります。「徘徊」には、「あてもなく、うろうろ歩きまわること」という意味があり、「あてもなく、うろうろ」というところが、認知症の人の実情にあっていない、配慮が足りない、ということが言い換えの動機...
日記

夫の痛みは、寝ても治らない

散歩が大好きな夫。毎日1万5千歩、多い日には2万歩以上、歩いている。まあその歩数のすべてに、私も同行しているわけだが。連日2万歩以上歩いても、30代の私の足に、異常はないが、70代の夫のヒザやふくらはぎは、悲鳴をあげだす。夫自身は歩くのが好きだけれども、夫の体、とくに足がそれについてこれない。連日、...
日記

ちょっとだけ逃避行

私は夫と駆け落ちをしたことがあります。それも結婚後に。私と夫は、夫がすでに認知症をわずらっていて、さらに歳の差が35ありましたが、私の身内、夫の身内、ともに誰にも反対されることなく結婚に至っています。では、なぜ、結婚した夫婦が、駆け落ちをすることになったのか。コロナ禍が始まって少し経ったころでした。...
日記

人間にたいして失礼だろう

夫が、自分の認知症に対して発した言葉。「人間にたいして失礼だろう」夫にとっては深刻な問題なのだろうが、それを聞いた私は、夫の表現のすばらしさに衝撃を受けた。なんてわかりやすく素直で的確な表現だろう。加えて夫は「頭をボカンと殴ってやりたい」とも言った。認知症には、頭どころか形がないので殴れない。でもこ...
エッセイ

苦悩の発露を見届ける

私にとって家庭内の殴り合いは、絶対にダメだと言い切れない行為です。私には子どもはいませんが、年頃の子どもが家で暴れて、親を殴りつけたなら、親としてその痛みを食らってやる。子どもの成長の痛みとして、親が殴られて受けてやる。そのような考えの家庭があってもいいと私は思っています。親を殴った子どもは、人を殴...
暮らしのなかの介護

3度の引っ越し わが家の場合

引っ越しや大きな環境の変化は、誰にとっても少なからず影響を及ぼしますが、認知症の人は、特にその影響を受けやすいといわれています。ですが、認知症になってから1度も居住を移さずに人生を終える人は少ないです。介護してくれる家族と一緒に住むため、あるいは家族の近くに住むため、または介護施設で暮らすなど、どこ...
エッセイ

認知症の人は不幸なのか

私の夫は認知症であり、世間の物差しを借りて夫の認知症の程度をはかれば、重度かその一歩手前です。ですが夫は、たぶん幸せです。私は夫ではないので、たぶん、と前置きはしますが、ほぼ確信を持って、夫は日々の生活の中で幸せを感じている、と私は思っています。私がそう思うのは、私が幸せだからです。常時、介護や介助...
メッセージ

「早く死んでくれ」と思った自分を恕してあげて

恕す(ゆるす)思いやりの心で、相手の罪や過ちをゆるすこと。認知症をわずらう家族に対して、『死んでくれ』と思ったことは、ありませんか。私は、あります。思うだけでなく、夫に「死ね」「早く死んでしまえ」と、言ったことも、何度もあります。いっそ、夫が死んでくれたら、自分は今の苦しみから解放される。そう思いま...
エッセイ

鏡に映る自分と話す 夫の鏡現象

認知症の症状の一つに、鏡やガラスに映る自分に話しかける【鏡現象かがみげんしょう】というものがあります。これは、夫が鏡に映る自分と話している動画です(2021年9月撮影)。この動画を公開した意味は、鏡現象の紹介という部分もありますが、それよりも私は、夫が話す内容に注目してほしいと思っています。鏡現象は...
エッセイ

夫にとって認知症とは、そしてボケるとは

『認知症の人には、自分が認知症だという自覚は、あるのでしょうか』夫が認知症初期のころの話です。夫は、自分の頭の動きがおかしくなっている自覚はありましたが、その原因が認知症であるということは、覚えていませんでした。たとえば、私が夫に「ボケてるね」と聞くと、「そうだね」と返ってきますが、「それは、認知症...