夫が私のことを忘れることがあった 知らない人を見る目で私を見 知らない人と話すように話し 私を知らないと言った そんなことがたまにあった そのことを人に話したら 「配偶者のことは 早い段階で忘れる人が多い」 と言われた それが本当なのかどうかも 疑わしいのだけれど そうであったとしても 私は話す相手をまちがえた いずれ忘れられてしまう日を 覚悟しつつ 心のどこかで 「うちはちがう きっとちがう」 そう願っているものでしょ 私がほしかったのは 「かなしいね さびしいね つらいね 」 そんな言葉だった
例えば、物とられ妄想で『一番近くにいる人が犯人にされることが多い』と知ったとして、その事実が濡れ衣を着せられた人の心をどれぐらい救うのか。
うちの場合は、夫の物とられ妄想の犯人は、たいてい夫のお母さんで、私が犯人にされたことはなかったけれども、それでも、人が濡れ衣を着せられているのを聞いてるのはイヤだった。たとえ、それが亡くなっている人であっても。
それがまして本人であれば、濡れ衣を着せられて、現実で泣いてるのに、なぜ傷口に塩を塗る。
言葉には適切なタイミングがあり、さらに、その言葉が刺さる人と刺さらない人がいる。
私の場合は、両方違った。
これを言ったのが、介護施設の経営者で、現場にもでている人で、だから余計に、私のなかでもやっとした。
なにも知らない人に、聞きかじったようなことを話されても、引っかかりはしても、そこまで引きずりはしなかった。
3年経っても覚えてたとは思えないし、たぶん文章に書くこともなかった。
ここまで根に持つといことは、あのときよっぽど思うことあったんやろうな、私。