認知症の夫は弱者なのか

私は、夫のケアマネージャーに、認知症の夫のことを弱者だといわれて、嫌な気持ちになったことがあります。

社会的にみれば、認知症の人は弱者なのかもしれません。

ですが私にとって夫は弱者ではありませし、認知症の人を弱者だと思ったこともありません。

そもそも弱者とは、どのような人なのでしょうか。

【弱者】 力関係で弱い立場にあるもの。

新明解国語辞典

その意味で考えると、家庭内でとんでもないわがままを撒き散らし、家族をこれでもかと振り回す認知症の人は、家庭内の最強者です。

では、認知症の人を社会的弱者として捉えた場合はどうでしょうか。

【社会的弱者】 社会のなかでその構成員として存在しながら、大多数の他者と較量きょうりょうすると、著しく不利な状況や不利益な状態に置かれる者(個人あるいは集団)をいう。

全国公益法人協会 非営利用語辞典 

不利な状況や不利益な状態に置かれている者。それは認知症の人、個人というよりは、認知症の人がいる家族全体、であるように思います。

ですが、わが家が社会的弱者かと問われると、私は首を捻ります。私にはそのような自覚はありません。

ケアマネージャーは、夫は弱者だという言葉に続いて、守ってあげないといけない、と言いました。

【守る】が【見守る】の意味であるなら、私は充分、夫を守ってきました。

私が今まで夫を守っていなければ、今ごろ夫は、交通事故で帰らぬ人になっていたかもしれないし、迷子になって行方不明のままかもしれない、夫が今ここに存在していることが、私が夫を守ってきた証拠です。

ですが私は、夫が弱者だかから守っているのではなく、大切だから守っているのです。

それを夫のケアマネージャーがわかっていないはずありません。私にとって夫がいかに大切か、それはケアマネージャーもよくわかってくれていると思います。

もしかしたらケアマネージャーは、認知症の人を弱者とすることで、夫への特別な配慮を私に求めたのでしょうか。

私が夫と殴り合いのケンカをすると言ったから。

私から夫の身を守るために。

私だって殴り合いのケンカはしたくありません。でも殴るのをガマンしていたら、いつか私の堪忍袋の緒が切れて、もっと取り返しがつかないことを私はしてしまいそうでした。

自分が殴られているのに殴り返さずにいたら、いつか自分の制御がきかなくなって力の加減ができなくなるかもしれない。

私が夫との生活を続けるための、私にとっての苦肉の策が、ガマンせずに殴り返すことでした。

その苦肉の策に対する苦言が、夫は弱者だから守ってあげないといけい、という言葉だったのかもしれません。

そうだったとすれば、守ってあげないといけないのは、夫だけではなく、私と夫、私たち2人丸ごとです。

でもそれは、夫が弱者だからでも、私たちが社会的弱者だからでもなく、2人だけでは傷つけ合いから抜け出せないからです。

あのとき私は「私たちが破滅したら、私はその罪を背負って生きていく」「破滅したくはないけれど、破滅するかもしれない。それはそれでしかたがない」というようなことを、ケアマネージャーの発言の前に、言っています。

破滅というのは、介護殺人です。

私は夫を殺そうとしたことも、殺したいと思ったこともありませんが、死ねと思ったことはあります。介護殺人が紙一重のところにある感覚が私にはありました。

むしろ紙一重のところにあることがわかっていたからこそ、私はそこを避けることができていた。

でもそんな私の内部のことは、私以外にはわかりません。私ですら、今こうして振り返ることで、当時の自分を理解し、言葉にすることができているのです。

さらに私の中に、破滅的な生き方も人の生き方として否定できない、どんな生き方も人としてありうる生き方だ、という考えがあります。そうなりたい、なりたくない、という意志とは関係なく、なりうる可能性を否定しない。善も悪も否定しないからこそ、理解できる部分がある。

そんな私のセンシティブな考え方を、他人が理解するのは難しいことです。だからこのような話を他人にすることも普段はありません。ですが私はあのとき、その考え方を隠すことをしなかった。

私のまとまりのない思考の端々を聞いたケアマネージャーが、私たちの家庭に危険を感じてもムリのないことです。

今思い返してみるとケアマネージャーは、私たち2人を丸ごと守るために、夫は弱者だから守ってあげないといけない、と言ったような気がします。

なぜならこれが、夫を施設に預けたくないと言う私と、夫を施設に預けたほうがいいと言うケアマネージャとの、話し合いの最中のことだからです。

私と夫を離すことで、私たち2人の安全を守ろうとしたのでしょう。

ですが私はそのとき、ケアマネージャーの真意を測ることができませんでした。

さらに、ガマンをため込まないための殴り合いが、私の苦肉の策であるということも、ケアマネージャーには伝わっていなかったでしょう。

私との意思疎通ができていないなかで、他人が強引にでも家庭内に介入した方がいい状況だと、ケアマネージャーが判断した。けれどもケアマネージャには、家庭内に介入する権限などなにもない。それでもケアマネージャーとして夫を守るために、なんとかしなければという思いから発したのが、夫は弱者だから守ってあげないといけない、という言葉だったのかもしれません。

そう考えるとケアマネージャーも必死だったのかもしれません。なぜなら普段、夫のケアマネージャーが夫のことを弱者として見ているとは、私には思えないからです。

認知症の夫は弱者なのか、という問いに対する私の答えは、見る人によってはそうかもしれないけれど、私にとっては対等な関係の家族です。

そして、夫と関わりのある人には、弱者としてではなく、ひとりの人間として夫を見てほしいなと思います。