プレッシャーを取り除いてくれた、ヘルパーさん

この5月で、ヘルパーさんに夫の夕食を作ってもらうようになってから、1年4か月になります。

そして、ここ3年ほど、私は、まともに料理をしていません。

料理をしなくなったいきさつは、私が台所でご飯を作っていると、認知症の夫が居間から私のことを何度も同じ用事で呼んだり、ひとりで外に行こうとしたり、気づいたら家からいなくていて料理そっちのけで慌てて探しにいったり、ということが日常になったからです。

料理をしている最中に、たびたび中断させられイライラが募る。

さらにイライラの原因は、料理しているとき以外にもたくさんあって、私は常にストレスフルの状態で、ことあるごとに爆発していました。

そこで取り除けるイライラの原因は、取り除いてしまおうということで、私は料理をやめました。

当時住んでいた場所は、国道の近くで、飲食店が多かったので、外食するには困りませんでした。

夕食は外食で、たまに総菜を買ってきて家で食べる、という日々が、ヘルパーさんが来てくれるようになるまで続きました。ちなみに、朝はパンだけ、夫がデイサービスやショートステイに行かない日のお昼は、外食かお弁当やおにぎりでした。

さらには、私の心身が疲れすぎて、1食か2食しか食べない日も度々ありました。

ご飯を食べに行く、買いに行く、それすらしんどかったのです。

朝から夫がゴタゴタを立て続けに起こして、私はその対応で夕方ごろには疲れ切ってしまい、食事のことに気遣う気力もなくなっていたり、夕方近くに夫と大ゲンカして、私がブチ切れたり。

そんな日は2人とも夕食抜きでした。

夫がただの大人だったら、私がご飯の提供を放棄しても、自分ひとりで食べに行くなり買ってくるなりできるでしょうが、ひとりで金銭のやりとりができなくなった夫の場合、私が放棄した時点でご飯が食べられなくなるのです。

さらに夫は、冷蔵庫や家の中にある食べ物を探すこともしませんでした。だから私が夫の目の前に食べ物を出さなければ、夫には食べるものがありません。

私が手を抜いたら、夫の日常が崩れる。

そのことが私には負担でした。

食事のことだけでなく、夫の身の回りのありとあらゆることが、そうで、私がやらなけらば、夫の健康や清潔は崩壊していく。

夫の、健康で文化的な生活は、私の負担の上に成り立っていて、私にとってそれはとても重たかったのです。

外食が続くと、どうしても栄養バランスに偏がでる。

野菜を多くとるために、私がご飯を作った方がいい。

けれどもそれをすると、私の負担が増し、日常生活が経ちいかなくなる。

人は食べなければ死ぬ。

最優先事項は、なんでもいいからご飯を食べさせること。

その次に栄養バランスがくる。

外食でもいいから、とりあえず食べさせることが大切なんだ。

そう、自分に言い聞かせました。

でもやっぱり栄養バランスも気になる。

そこでさらに、夫はお昼にデイサービスでそれなりに栄養バランスが整った食事をしているはずだから、夕食は大目に見るように、と自分に言い聞かせました。

そんな、割り切ろうとしても割り切れない日々を過ごしていたある日、夫が硬膜下血腫になり、急激に介護度が増しました。

すぐに介護保険の区分変更をしてもらい、要介護5になったことで、使える介護保険の点数が増えたので、ヘルパーさんに夫の食事を作りに来てもらうことにしました。

ヘルパーさんは週に1度、3食分の夫の食事を作ってくれます。

さらに夫は、週1回、1~2泊ショートステイに行ってくれるようになりました。

ヘルパーさんが作ってくれる夕食とショートステイの夕食を合わせると、夫は週に4~5回は栄養バランスの整った夕食を食べていることになります。

それならば、残り2~3回の夕食の栄養が多少偏っていたとしても、大きな問題はないでしょう。

そうして私は、夫の夕食の栄養バランスという重荷から解放されました。

硬膜下血腫になったことで、夫は外出するとき車イスになり、以前ほど頻繁に外食しなくなりました。

ヘルパーさんが作ってくれたご飯がなくなると、もっぱらスーパーのお惣菜に頼っています。

ヘルパーさんが夫の夕食を作ってくれることは、もちろんありがたいですが、それと同時に、ヘルパーさんは、夫にちゃんとした食事を提供しないといけない、という私のプレッシャーも取り除いてくれました。