泣きながら、夫をデイサービスに連れて行った日のことです。
今は、デイサービスの職員さんに、夫の送迎をお願いしていますが、以前は、私が夫を送っていました。
朝、夫を起こし、身支度をさせて、ご飯を食べる。
それをデイサービスの迎えの時間までに終わらせておかないといけない。
もし、時間に間に合わなかったら、迎えに来てくれた職員さんに申し訳ないし、思うように動いてくれない夫に、余計腹が立つでしょう。
なので、夫の準備ができたら、私がデイサービスに送っていくことにしていました。
泣きながらデイサービスに連れて行った日の前日は、一日中、夫と二人きりでした。
夫は朝から、私のイライラの種をまき散らし続けていました。
そのせいで、私の気力と体力は、夫への気配りと、夫との言い争いで消耗され、終いにはなにもする気になれず、夫に晩ご飯を食べさせることなく、寝かせました。
夫は、晩ご飯を食べていないことを忘れているのもありますが、それより、私の陰鬱な顔を見たくなくて、寝てしまったのだと思います。
朝になっても、私のイライラは残りつづけ、さらに夫が別のイライラの種をまきます。
朝ご飯を食べさせる、気力もでません。
私のイライラと夫のイライラが激突して、言い合いになり、つかみ合いになります。
ここから脱出するには、夫と距離をとるしかありません。
さらに、このままだと、お昼になっても、夫にご飯を食べさせる気力がでそうにありません。このままだと夫は、3食抜くことになってしまいます。
なんとしても、夫をデイサービスに連れて行かないといけない、と思いました。
記憶が定かではないですが、夫はそのとき、まだ寝間着だったかもしれません。寝間着のままデイサービスに連れて行ったことも何度もあります。
私は、その寝間着だったかもしれない夫を車に半分押し込み、夫のカバンに朝食のパンを入れて、デイサービスに連れて行きました。
車中で泣きながら運転する私に夫が「気をつけてよ」と言いました。自分が冷静でないのがわかってるからこそ「いつも以上に注意してるわ」と私が怒ります。
デイサービスの玄関で職員さんが夫を迎え入れてくれ、そこで私はがまんができず、いや、がまんする気なく、泣きました。
そんな私にデイサービスの職員さんが背中をさすってくれて「よく連れてきてくれた。がんばったね。ありがとう」と言ってくれました。
そこで私は、さらに泣きました。誰かに泣きすがりたかった私を、職員さんはちゃんと泣きすがらせてくれました。
さらには、夫を連れてきた私に「ありがとう」と言ってくれました。
私が、自分や夫のためにした行為に対して、介護に携わる人たちに「ありがとう」と言われることが、度々あります。
それは、家族でなければできないことがあると、わかっているからだと思います。
利用者やその家族のためになることをしてあげたいと思う気持ちがあっても、当の本人や家族が動かなければ、なにも始まらないことがわかっている。
介護が仕事であり、さらには他人である以上、踏み込めない部分がある、そのはがゆさを介護に携わる人たちから感じることがあります。
デイサービスやケアマネージャー、地域包括支援センターに相談しても、なにもしてくれない、という話を聞きます。なにもしてくれないのは、仕事としてできることがあるのに、していないのかもしれませんが、そうではなく、介護を仕事としている人たちにはできないことがある、からかもしれません。
ですが、誰かに泣きすがりたい人を泣きすがらせてあげる、これは誰でもできることです。資格は必要ありませんし、越権行為になることもありません。
もし、介護する家族の顔が辛そうなら、なにか声をかけてあげてほしいです。
誰かに泣きすがっても、なにも解決しないし、それで状況がよくなるわけでもありません。
でも私は、あのとき、デイサービスの職員さんに、私の心を助けてもらいました。
もし、自分の泣き言を聞いてくれる人がいたら、ためらわず泣きついてください。
できることは僅かずつでも、それを重ねていけば、なんとか持ちこたえらるかもしれません。