もしあのとき、私が握っていたのが、傘じゃなかったら

ひとコマ・詩



  もしあのとき私が握っていたのが
  傘じゃなかったら

  なにひとつ、思うようにならない。

 デイサービスに行った夫が、途中で帰ってくる。
 家事をしている最中に、夫が出て行く。
 ひと息ついた途端、夫が出て行く。
 ぜんぶ後回しにして、夫に付き添う。

  なにひとつ、思うようにできない。

 それでもがんばっている自分へ、
 誕生日プレゼントをネットで買った。
 誕生日当日、家にいられるであろう時間帯を
 配達指定して。

 その日も、家を出て行った夫に付き添い、
 なんとか配達時間までに、
 家の前まで帰ってこられた。

 なのに夫が「家に帰る」と言って、
 家に入ってくれない。
 また、歩き出そうとする。

  なにひとつ、思うようにならない。

 せめてもの自分へのごほうび。
 それすらも、受け取れない。

 そのとき、私は、握っていた傘で、
 夫のお尻をおもいきり殴った。

新聞に載るような事件が起きる瞬間は、こんな時なのかもしれない。

私の側にあった物が、傘だった。

ただそれだけのことで、夫はケガをしなかったのかもしれない。

次の日、夫のケアマネージャーに電話をして、夫を傘で殴ってしまったと言ったら、数時間後、会いに来てくれた。

ケアマネに限らず、私は周りの人に恵まれている。

そうでなければ、やってこられなかった。

それと、私がここまでしてしまったのは、時間指定した荷物を受け取れないことに対して、罪悪感があったから。せっかく届けに来てくれたのに、受け取れないことに。

家族を介護していている人たちは、介護を必要とする家族に対してだけでなく、周りのいろんな人たちに対して、罪悪感を持っていると思う。他の家族や身内、友だち、近所の人、介護職の人、お店の人、街中にいる人、たくさんの人たちへの罪悪感で、自分を追い詰めて苦しめているんじゃないかと思う。


これは、2020年の私の誕生日のことです。