私の望みを叶える言葉

ひとコマ・詩


 

 打ち上げ花火の音がする。

 ベランダから空を眺めたけれど
 花火は見えない。

 「一緒に外に行って、探そうか」
 夫が、そわそわする私に言った。
 
 けれども私は、
 行かなくていいと返事した。

 当時、私たちは、
 エレベーターがないマンションの
 3階に住んでいて、
 夫は、階段の上り下りが苦手になっていた。

 さらに外は、冬の始まりの夜。
 出かけるなら、夫に上着を着せないといけない。

 あの頃、打ち上げ花火は、
 人が集まらないように、場所を明らかにせず、
 突然始まり、短時間で終わった。

 今から支度して探しても、
 たぶん間に合わない。

 階段が苦手で、
 ひとりで上着が着られなくて、
 一緒に花火が見られなくても、
 夫がその言葉を言える人である。

 そのことが私の望みを叶えてくれた。

当初、この詩の最後の一文は『それがうれしかった』だったのですが、それでは、なんだか足りないような気がしていたところ、ある人とのメールのやりとりから、思い出した感情がこの言葉です。

『そのことが私の望みを叶えてくれた』

私が夫に望んでいることは『夫にしかできないことが、できる人であること』。

階段は、引っ越せばいいし、段差があっても、スロープや昇降機を使えば、生活できる。

服だって、私が手伝えば着られるし、いつかそれができなくなっても、着る服を選べば、着替えられる。

花火は、うれしいかどうかは別にして、私一人でも見られる。

でも、『夫の思いやりの心』は、夫にしか持てなくて、私が代わりに持つことも、無理やり持たせることもできない。


これは、2021年11月7日のことです。

そして、私たちは、11月22日に、車イスでも生活しやすいように設計された、バリアフリーのマンションに引っ越ししました。

夫は、12月20日に硬膜下水腫と診断され、のちに硬膜下血腫になり、2022年2月1日に脳にたまった血を抜く手術を受けました。

夫が階段が苦手になったのは、思ったように体が動かせないことに加え、きちんと段差を把握できなくなったことが原因のようです。