今でこそ回数は減りましたが、以前はよく、夫とケンカをしていました。
認知症の人に言ってはいけないとされている言葉も、ずいぶんたくさん言いました。
そもそもですが、なぜ認知症の人に言ってはいけない言葉があるのでしょうか。
それは、相手の自尊心を傷つけるからです。
ですが、私たちも 家族の言葉で、ずいぶん傷ついていますよね。
怒鳴られて、濡れ衣を着せられて、なのに、その家族の世話をしないといけない。
私たちの自尊心は、ボロボロです。
認知症の人が周りの人たちの自尊心を傷つけることは許されて、私たちが認知症の人の自尊心を傷つけることは許されない。
おかしなルールです。
そんなルール、認知症の人と一緒に暮らす家庭内に、持ち込む必要はありません。
社会のルールでは、自分が傷つけられたからといって、相手を傷つけてもいいわけではないかもしれませんが、認知症の人と暮らす家庭内では、お互いがそれなりに傷つけあいながら、生活するしかないと思います。
そもそも、生きていれば傷つくことは避けられません。
むしろ、必要以上に傷つくことを避けると、それはそれで、不自然な生き方になってしまいます。
だって、傷つかない生き方など、この世界には、ないのだから。考えようによっては、傷つけずに生活をさせることは、不自然な生き方を強いることかもしれない。
実際は、認知症の人は、その病によって充分すぎるほど傷ついています。私たちにつけられる傷以上に、自分自身で、自分自身を深く深く傷つけています。
ですが、それを思いやりすぎると、私たちの心が追い詰められ、いずれ生活が立ちいかなくなります。
私たちは、認知症の人の暮らしを支えながら、自分たち家族の生活も成り立たせないといけない。
ならば、傷つけない、傷つかない、そんな生き方はない、と割り切ることも、ときには必要になってくる。
また、相手への思いやりは、自分の心に余裕があってこそ生まれるのです。
自分が認知症の人を思いやれないのだとしたら、それは、自分の自尊心がボロボロになってしまう環境のせいで、思いやりが生まれてこないから。
生まれてこないものを、無理やり生み出し続けると、どこかで自分が壊れてしまうので、やめたほうがいい。
自分の自尊心を守り、自分の心を癒して、相手に対する思いやりが生まれやすい環境にする。
その第一段階、自分の自尊心を守る手段のひとつとして、相手に言いたい言葉をぶちまける、があってもいいと、私は思います。
実際、私は、そうしてきました。
そうやって、のりこえてきました。