認知症の人への接し方が書かれた本では、なるべく認知症の人に不快な思いをさせない対応をするよう、介護者に求めています。
では、介護する家族の不快は、誰がケアしてくれるのでしょうか。
家族のグチを聞いてくれる人がいればいいですが、そのような人がいなければ、家族の不快は誰もケアしてくれないことになります。
なるべく不快な思いをしないよう気を使ってもらえる家族と、不快を蓄積する家族。
そんな関係で、どこまで、家族として続けていくことができるのか。
認知症になったからといって、家族に守られるだけの存在になるわけではありません。
家族としては、対等な関係のまま。
できないことは、介助や介護しますが、人と人としては対等。
家族として対等だからこそ、相手が言いたいこと言ってくるのなら、こちらも言いたいこと言ってやればいい。
もし、自分が怒鳴ってしまったとしても、人間ができていないわけではありません。
がまんの限界を超えたときの、人として、正常な反応をしているだけ。自分の心を守るための防衛本能です。
相手が嫌な思いをしたとしても、こちらも相手に嫌な思いをさせられているのですから、お互い様です。
認知症の相手と同じ土俵に立って、やられたからやりかえすなんて大人げない、と思うかもしれませんが、こちらが大人な対応をすれば、相手も大人な対応をしてくれますか?
そんなことしてくれませんよね。
認知症のある家族と暮らすことは、時として、混迷した世界で暮らすことでもあり、その時、世間一般の行儀のよい思考だけで向き合っていると、病みます。
ここは家族も開き直って、子どもじみた自分を顧みて自己嫌悪に陥るのではなく、つかみどころがない世界で、自分の心を守る方法だと、とらえてみても、いいんじゃないでしょうか。
きれいに収まる方法など、本の中にしかないのですから。