「ぼく きらわれたんだ」 目を伏せ、うなだれる夫 タブレットをいじりながら 自分の相手をする妻へ 渾身のしょんぼり
この詩は、もともと、もう少し長かったのですが、『これでヨシ』と思った後に、思い直し、その後、何度も書き直しました。
それは、このときの夫の言葉と仕草から、私が感じたことがたくさんあり、たくさんありすぎて、自分がなにを一番書きたいのか、わからなくなったからです。
夫の言葉と仕草の、かわいらしさやいじらしさ。
妻の心を掴む、巧みさ。かわいさを使うずるさ。
妻を振り向かせるために、なぜ夫がその言葉を選んだのか。
夫が素直に自分の気持ちが言え、それを私が聞けて応えられる環境。
私の、どの思いを前面に押し出すか、考えたあげく、どれも甲乙つけがたかったので、夫のこの言葉と仕草に、絞ることにしました。
私は、このとき、夫の膝の上で、夫とおしゃべりしながらタブレットで作業をしていました。
でも、自分だけを見ていてほしかった夫にとって、それでは不満だったのでしょう。
『ぼく、きらわれたんだ』
『こっち、向いて』ではなく、『ぼく、きらわれたんだ』
その言葉と仕草だけを見ると、自分をかわいそうに見せて、より注目を集めようとする演出が感じられます。
もし、演出が加わっているのなら、それはそれで、その知恵に感心します。
純粋に『きらわれた』と感じ、それを言葉と体で表現したのなら、自分の気持ちの表現法に感心する。
なんにせよ、自分の気持ちを相手に伝える、その行為の巧みさに、舌を巻くしかありません。
愛情を『きらわれた』という感情を使って表現する、すばらしさ。
『ぼく、きらわれたんだ』
自分だけを見てくれないから、嫌われた。夫のその感性が、私をとりこにします。
夫が使える語彙は、少ないです。
今、出てくる言葉の中で、そのときの自分の気持ちを表す言葉が、『きらわれた』だったのでしょう。
さらに、夫の望みは、私にふり向いてもらい、自分のことだけを見つめてもらうこと。
であるなら、夫の思いは、ちゃんと私に伝わっています。
さらに、これが、夫ではない他の人の言動だったとしたら、私の反応は『だからなに?』で、あったかもしれません。
伝えたいことの意味は伝わっていても、遠回しの表現では、逆効果になることもある。
でも、このときの『ぼく、きらわれたんだ』は、『ぼくを見て』よりも、私を惹きつけました。
そんな風にしょげられたら、そのかわいらしやいじらしさで、私は夫を抱きしめ、そこから離れられなくなり、『大好きだよ』と、連呼せずにはいられません。
さらに、タブレットをいじりながら、夫とおしゃべりしていたことを反省しました。
夫がかわいかったり、おもしろかったとき、私は、自分用の記録も兼ねて、Instagramのストーリーズに投稿し、書き残しているのですが、この日のこの出来事は、書き残せませんでした。
『ぼく、きらわれたんだ』の後に、スマホをいじることなんて、到底できません。
夫は、私の心を掴む天才です。
さらには、女性のあざとさに惹かれる、男性の気持ちを、少しばかり教えてくれました。