私には、感情も 起きた出来事も 残る

メッセージ



『認知症の症状によって、起きた出来事は、すぐに忘れてしまったとしても、そのとき感じた感情は、長く残っている』

この言葉は本来、『認知症の人も、すべてを忘れるわけではない』ということが、いいたかったのだと思います。

ですが、解釈の仕方によっては、『感情は残るのだから、認知症の人に嫌な思いや不快な思いをさせることは、避けなければならない』という、意味にもとれます。

そう解釈してしまった人にとって、この言葉は、呪縛の言葉となって、その人の感情を束縛し、苦しめます。

一時期、私にとって、この言葉は、呪縛の言葉でした。この言葉によって、自分自身を責め立て、追い詰め、傷つけた。

どんなに私が注意を払っても、防ぎきれず、拭いきれない、夫のなかに生まれる嫌な感情。

防ぎきれず、拭いきれなかった、その夫の感情が、今度は、私を傷つける。

私の我慢や努力は、全く報われず、私の感情がどんどん荒んでいく。

なにかが、おかしい。

『どうして、私のことを救ってくれないこの言葉に、私が振り回されなければならないのか』

『なぜ、精一杯やっている私が、私のことを思いやってくれない言葉に、責められなければならない』

『起きた出来事も、感情も、両方とも覚えている、忘れることができない私の感情を無視するな』

そう、心の中で叫んでいました。

『今は、認知症の人を思いやる言葉じゃなくて、認知症の人とともに暮らす家族の心を癒したり励ましたりする言葉をください』

でも、そんな言葉は見つからなかったので、自分で考えて、自分で呪縛を解きました。


認知症のある人が自宅で暮らすことの醍醐味は、家族として、日常を過ごすこと。

日常には、快不快、好き嫌い、良い悪いが、織り交ざっている。

自分が持ちたい感情だけを持つことなんてできないし、相手に与えたい感情だけを与えることもできない。

日常の中に、当たり前にある感情を避けて暮らすことなんてできない。

私のしたことで、夫のなかに、嫌な感情や不快な感情が残ったとしたら、それが、今の私たち家族にとっての、日常を送るということ。

それは、私と夫が逆でも同じ。

感情は、相手だけにあるのではなく、自分にもある。

そんな当たり前のことを無視してくる言葉なんか、こっちから無視してしまえ。

『認知症の人を不快にさせるようなことをしていると、信頼関係が築けない』という言葉もありますが、私と夫は、快不快、好き嫌い、良い悪い、織り交ぜた、日常の中で、信頼関係を築いてきました。

私と夫の関係は、他人の言葉のなかにあるのではなく、私と夫、ふたりのなかにあります。