夫は、自分の場所に帰りたがった ありったけのエネルギーを燃やして 自分の居場所を探し求めた 夫から執着心が放たれることは もう、きっと、ない 落ち着いたと言えば聞こえはいいが なにかに執着するためのエネルギーが 散ってしまった、ようにも思え 一抹のさみしさを感じた 認知症という病がもたらした熱情が 夫を駆り立て 夫は、夫の人生の残りの熱量を 力の限りぶちまけた 病や加齢によって熱が奪われる前に 残りの燃料を燃やした 執着心がしぼむ前に、自ら散らした 私は、そう思いたい
私が知っている過去の夫からは想像できないほど、丸く穏やかな人になった夫の傍で、なんで、こんなに穏やかな人になってしまったのだろうかと考えた。
介護するなら、穏やかであってくれるほうがいいし、一緒に暮らすにしても、穏やかな家族と暮らせることは、心地よい。
けれども、夫の尖った部分が感じられなくなったことに、私は喪失感を覚えた。
夫の尖った部分も、確かに、夫の一部だった。
それが、感じられない。
私にとっては、丸くなった今の夫の方が付き合いやすい。
けれども、夫の尖った部分が、病によって強制的にそぎ落とされたのだとしたら、夫の尖った部分がなくなってよかった、そう素直に思えない。
そうあって、ほしくない。
夫は、不要なものでも、誰かに取られるぐらいなら、自ら壊すような人だった。
だから、執着心や尖った部分も、自ら叩き壊していてほしい。
夫は、執着していたのではなく、病によって、執着させられていたのかもしれない。
そうであったとしても、自分の力で執着しつくして、その結果、夫の執着心が出がらしになったのであれば、それならよかった、そう、私は思える。