認知症をわずらう家族に寄り添うことは、生易しいことではない

メッセージ



自分自身に寄り添えない状態の人が、他の人に寄り添うことはできません。

そして、寄り添う対象が自分であっても他人であっても、人に寄り添うことは、心がけ次第でやすやすとできることでもありません。

『認知症の人に寄り添う』それがどういうであるかは、人それぞれだと思います。

私にとって認知症の夫に寄り添うことは、根性でした。

一時期、夫に対する私の寄り添いは、涙や嗚咽、罵声や殴り合いの中にありました。

そして私は、夫に寄り添うと同時に、自分自身にも寄り添っていました。

涙や嗚咽、罵声や殴り合いの日々の中で、潰れそうになる自分に寄り添うことで、私は、懸命に自分を守ろうとしていた。

『寄り添う』という言葉には、優しい響きがありますが、その行為は、優しさだけで成し得るものではありません。

私の場合は、心身ともにギリギリの状態で、自分に寄り添い、さらに、認知症の症状による自分自身の変化に混乱する夫にも寄り添っていた。

それができたのは、私の根性のおかげだと思っています。

そして、その根性を鍛えたのが夫であり、その根性を支えたのが未来の私でした。

家族の認知症の症状に、イライラして、怒ってしまい、手を上げてしまう。ときには、話しかけられているのに無視してしまう。

そんな、自分は優しくない。思いやりがない。うまく寄り添ってあげられない。

そんなことは、ありません。

それは、あなたが優しくないのではなく、優しさだけでは、どうすることもできない状況だからです。

自分は、家族に寄り添えていない、と悩んでいること、それこそが、あなたの優しさの証明です。

そして、優しさだけが、寄り添っていることではありません。

ときには、厳しさや冷たさも、寄り添いかもしれない。

寄り添いに答えなどない。

うまい寄り添いなどない。

家族の気持ちを思いやってした行為は、たとえ相手を怒らせることになったとしても、れっきとした寄り添いです。

たとえ結果は、さんざんであったとしても、あなたが寄り添おとしたその気持ちは、尊重されてしかるべきです。

自分を認めて、相手に寄り添おうとしている自分をほめてあげてください。

誰かに寄り添うためには、寄り添えるだけの余裕が必要です。

ですが、認知症の症状をあらわにする家族と日々接していると、その余裕はどんどん削られ、ほんのわずかな、かすかな、もしくは、全くない状態になってしまいます。

その中で、踏ん張って、悩んで、がんばって、寄り添っている。

それは、とてもすごいことです。

家族への寄り添いが、たとえほんのわずかであったとしても、それが、今のあなたにある余裕の中で、できる寄り添いなのだから、誰にも、他人にも、家族にも、自分自身にも、責められる筋合いはありません。

今のあなたは、未来の自分に誇れる自分です。