デイサービスの職員さんであり、家族介護の経験者

認知症の家族を介護したことがある人の発言は、認知症介護の型にはまらない、という話です。

夫がお世話になっているデイサービスの社長さんは、お父さんが認知症になり、お父さんを在宅で介護した経験から、デイサービスを始められたそうです。


ある日、私と夫は殴り合いのケンカをしました。

高齢とはいえ、体格で勝る夫の方が力は強いし、私は自分と夫が大ケガしないように立ち回らなければいけないので、私の方が受けるダメージが大きいです。

なのですが、高齢の夫は、皮膚も毛細血管も弱いので、見た目は夫の方が痛々しくなります。

私を殴ったときか、壁にぶつけたときかわかりませんが、夫のこぶしの皮膚が裂け、数か所から出血してしまいました。

「自分から私のこと殴っておいて、なんで自分がケガしてんねん」そう思いながら、私は夫の手の甲にバンドエイドを貼りました。

その翌日、バンドエイドに滲む血を見たデイサービスの社長さんに「このケガどうしたの」と聞かれました。

私「ケンカしました」

社長「誰と」

私「私と」

社長「そうか!ばーん、いったったか」

私「はい」

2人 笑い

社長「廻し蹴りしたったか」

私「えっ、やりかたわからないです」

社長「教えたろか」

私「いや、うちそんなスペースないので、できないからいいです」

介護職員と家族の間で、まず聞かれない会話だと思います。

もともとの社長さんの人柄があり、さらに、自分のお父さんを介護した経験があるからこその対応だと思います。

暴力はだめです。それはわかっています。わかっているけど、現に、暴力が家庭内に存在していて、排除できない状況である。そのことが、社長さんは実体験でわかってくれている。

この人は私の味方だと思いました。

私と社長さんとのやり取りを読んで、なにを感じるかは人それぞれだと思います。

ケガをした夫が置き去りになっていると思われるかもしれません。

ですが、認知症の人を介護する家族の心を和らげるためには、認知症の人の尊厳は、ちょっと横に置いて、家族に寄り添ってもらえると、家族は、自分のことがわかってもらえた、共感してもらえたと思って、気持ちを切り替えることができます。

認知症の人の尊厳を守ることと、介護に苦悩する家族の前で、認知症の人の尊厳を横に置いて話をすることは、相反することではありません。

介護職の人たちは、介護する家族より、介護される人の立場に寄りがちです。

それが、時として家族に、この人は私の味方ではないという、あきらめの感情をもたせ、それが、家族の孤独感につながっていきます。

介護という仕事柄、介護される人の立場に寄るのは当然で、それを変えることは難しいと思います。

なので、どちらに寄るとかではなく、一度、介護される人と切り離して、介護する家族を見てあげてほしいです。

それも難しいと思いますが、家族を介護している人は、介護されている人には味方になってくれる人がいるのに、自分には誰も味方になってくれる人がいない、そんな虚しさを感じています。

自分のことを誰かに見てもらえた、それだけで、家族の心が少し救われます。


さて、そのデイサービスですが、最初はデイサービスに連れて行かれることに不満ばかり言っていた夫ですが、徐々に馴染んでいき、今では、デイサービスからご機嫌さんで帰ってきます。

それは、そのデイサービスが、夫が安心していられる場所であるという証拠です。

デイサービスでお風呂に入ると「いつもありがとう」と言ってくれると、連絡帳に書いてあります。

誰かにありがとうと感謝の気持ちがもてる、そんな環境を夫に提供してくれて、ありがとうございます。