認知症の人たちの人となり

認知症になっても、夫はジェントルマンだ、という話です。

夫が利用しているショートステイのスタッフさんが教えてくれました。

ショートステイ内で認知症のある利用者さんが、別の認知症のある利用者さんを批判していたそうです。

批判の内容は、なにかしようとしているけれどうまくできない利用者さんを責めるようなものでした。

それを聞いたスタッフさんは思ったそうです「いや、あなたもできないでしょう」と。

スタッフさん曰く、批判している人は「自分もできないとは思っていない」みたいです。

なんとなくですが、その光景が目に浮かびます。

できないことを批判した認知症のある利用者さんは、できない他人の姿に、現実の自分を投影してしまい、嫌な気持ちになったのかもしれません。

それとも、認知症になったが故のプライドが芽生え、自分はまだそこまでじゃない、と思ったのかもしれません。

いや、もともと批判したがる性格なのかもしれません。

なんにして、他人と生活空間を共にするうえで、あまり好ましくない発言があったようです。

ここで夫の登場です。

認知症の人が認知症の人を批判しているのを聞いていた認知症の夫はその場で「そんなこと言っちゃいけないよ」と言ったそうです。

仲裁しようとしたのか、批判した人を注意しようとしたのかはわかりませんが、そこには批判された人に対する夫の気遣いが感じられます。

この話を聞いたとき、夫の優しさに、私は嬉しくなりました。

夫がどこまで状況を把握していたのかはわかりませんが、人に言わない方がいい言葉を聞いた夫は、言った人を諫め、言われた人を庇った。

これは誰もができることではありません。

もし私が同じような状況にいたとして、夫と同じような振る舞いができるかと問われると、難しいかもしれません。

夫の認知症はだいぶ進行しましたが、優しいところは相変わらずです。

今夫が優しいのは、夫が元々持っている優しさもありますが、夫をとりまく環境が、夫の優しさを保っているからだと思います。

夫の介護に関わってくれている方々、特にデイサービスやショートステイのスタッフさんのおかげで、夫が優しい人でいられるのです。

そして最大の功労者は、私です。

今の夫を取り巻く環境を選んできたのは、私です。

さらに夫と一番長い時間一緒にいるのも、私です。

だから、夫が優しい人でいられるのは私のおかげです。

この話は、夫を持ち上げていると見せかけた、実は私の自画自賛でした。

もし認知症のある人に、人として好ましい姿があれば、それは周りにいる人のおかげです。

もし認知症のある人に、人として好ましくない姿があれば、それは病気のせいです。

『気の持ちよう』といいますが、前向きに介護ができるかどうかは、介護する人の捉え方が大いに関係するのだろうなと思う、今日この頃です。