認知症とともに暮らす

エッセイ

苦悩の発露を見届ける

私にとって家庭内の殴り合いは、絶対にダメだと言い切れない行為です。 私には子どもはいませんが、年頃の子どもが家で暴れて、親を殴りつけたなら、親としてその痛みを食らってやる。子どもの成長の痛みとして、親が殴られて受けてやる。そのような考えの家庭があってもいいと私は思っています。 親を殴った子どもは、人...
エッセイ

認知症の夫は弱者なのか

私は、夫のケアマネージャーに、認知症の夫のことを弱者だといわれて、嫌な気持ちになったことがあります。 社会的にみれば、認知症の人は弱者なのかもしれません。 ですが私にとって夫は弱者ではありませし、認知症の人を弱者だと思ったこともありません。 そもそも弱者とは、どのような人なのでしょうか。 【弱者】 ...
エッセイ

認知症と引っ越し

認知症の人の引っ越しで、家族が心配することのひとつが、引っ越しによって認知症が一気に進むのではないかということです。 夫は認知症になってから、3回引っ越しをしています。 私も引っ越しのたびに、夫の認知症の進行具合に影響がないかは気になりましたが、それでもこの先二人が一緒に暮らすためには、引っ越しが必...
エッセイ

認知症の人は不幸なのか

私の夫は認知症であり、世間の物差しを借りて夫の認知症の程度をはかれば、重度かその一歩手前です。 ですが夫は、たぶん幸せです。私は夫ではないので、たぶん、と前置きはしますが、ほぼ確信を持って、夫は日々の生活の中で幸せを感じている、と私は思っています。 私がそう思うのは、私が幸せだからです。 常時、介護...
メッセージ

「早く死んでくれ」と思った自分を恕してあげて

恕す(ゆるす) 思いやりの心で、相手の罪や過ちをゆるすこと。 認知症をわずらう家族に対して、『死んでくれ』と思ったことは、ありませんか。 私は、あります。 思うだけでなく、夫に「死ね」「早く死んでしまえ」と、言ったことも、何度もあります。 いっそ、夫が死んでくれたら、自分は今の苦しみから解放される。...
エッセイ

じょうぶな頭 と かしこい体

『じょうぶな頭とかしこい体になるために』は、五味太郎さんが現代を生きる子どもたちに向けて書かれた本です。 身近な大人に質問しても「なにをくだらないこと聞くんだ」と一蹴されてしまうようなことを、わらかないことは正直にわからないと言い、だけども自分はこう思うよと、子どもの質問から逃げずに答えています。 ...
メッセージ

介護殺人の見えない部分

介護殺人のニュースを耳にすると、身につまされて泣けてくる。 私は、夫を殺していないけれど、それはたまたま偶然かもしれない。 交通事故でも、なにかが一瞬違うだけで、大事故になったり、危なかったで終わってしまう。 タッチの差。 介護殺人もそれと同じで、タッチの差で殺してしまい、タッチの差で何事もなかった...
エッセイ

鏡に映る自分と話す 夫の鏡現象

認知症の症状の一つに、鏡やガラスに映る自分に話しかける【鏡現象かがみげんしょう】というものがあります。 これは、夫が鏡に映る自分と話している動画です(2021年9月撮影)。 この動画を公開した意味は、鏡現象の紹介という部分もありますが、それよりも私は、夫が話す内容に注目してほしいと思っています。 鏡...
エッセイ

デイサービスの職員さんであり、家族介護の経験者

認知症の家族を介護したことがある人の発言は、認知症介護の型にはまらない、という話です。 夫がお世話になっているデイサービスの社長さんは、お父さんが認知症になり、お父さんを在宅で介護した経験から、デイサービスを始められたそうです。 ある日、私と夫は殴り合いのケンカをしました。 高齢とはいえ、体格で勝る...
エッセイ

私を泣かせてくれた デイサービスの職員さん

泣きながら、夫をデイサービスに連れて行った日のことです。 今は、デイサービスの職員さんに、夫の送迎をお願いしていますが、以前は、私が夫を送っていました。 朝、夫を起こし、身支度をさせて、ご飯を食べる。 それをデイサービスの迎えの時間までに終わらせておかないといけない。 もし、時間に間に合わなかったら...