私は、かつて一度だけ、夫を認知症病棟に入院させようと、決断しかけたことがあります。
夫がこけて、頭からアスファルトの地面に突っ込み、額を数針だったか十数針か縫うケガをしたときです。
夫のかかりつけ医に、ケガしたときの状況を「鬼おろしのようになった」と言ったら、うまいこと言うねとほめらました。きれいな包丁で切った傷口の数針と、きたないアスファルトで擦った鬼おろし状態の数針では、ケガの内容がぜんぜん違うようです。
コロナ禍が始まって、10か月ぐらい経った頃でしたから、病院に入るには、当然マスクをつける必要があります。ですが、夫はマスクをしてくれません。
当時のかかりつけ医は、そんな夫に配慮してくれて、他の患者さんの診察が終わった後、誰もいなくなった時間に夫を診てくれていました。
本来なら、夫のケガは、形成外科の医師に診てもらわないといけないような内容でしたが、近所で形成外科があるのは、コロナ病棟もある大きな病院で、もちろんノーマスクで入れるわけがありません。
なのですが、ケガをした直後、救急車で運ばれたのも、その病院なのですが、そのとき夫は、ノーマスクで治療を受け、ノーマスクで院内を移動し、ノーマスクのまま診察室で医師の話を聞き、一度もマスクをつけろと指摘されることなく、終始ノーマスクで、病院を後にしました。もしかしたら、夜診で、他に患者さんがほとんどいなかったからかもしれませんが、今思い返しても不思議な対応でした(私としては、ありがたかったですが)。
かかりつけ医は脳神経外科医で一応の処置はしてくれましたが、専門外だから心配であるということで、1週間に2回、傷の具合を診てもらうために通院していました。それも、私には負担でした。
介護保険サービスでは、一度デイサービスに行ったら、中抜けして病院に行き、再びデイサービスに戻ってくることができません。
朝、夫をデイサービスに連れて行き、2時間ほど預かってもらっている間に、買い物や用事をすませると、夫をクリニックに連れて行くためにデイサービスに迎えに行き、そのあとはずっと、夫と一緒にいなければいけません。
夫は相変わらず、昼夜を問わずに毎日、外を歩き回ります。家に帰ってきてちょっと休憩していたら、また出ていく。それの繰り返しです。私の気を抜く時間がありません。
これでは私が持たないので、一か八か、初めてショートステイに行ってもらうことにしました。今の夫では、手に余って追い返されるような気がするけれど、うまくいくかもしれない僅かな可能性にかけることにしました。
したのですが、ショートステイに連れて行く当日の朝、夫が額の傷口をいじり、再び出血してしまいました。
夫が家にいれば、常に私が見張っていられます。デイサービスだって、1対1ではないにしても、スタッフの目がなくなることはありません。けれどもショートステイは、居室に入れば、スタッフの目はなくなります。
夫が額の傷口をいじっても、止めてもらえないかもしれない。そのことが心配になって、私は夫をショートステイに預けることをやめました。
でもそうすると、私の負担は変わりません。
むしろコロナ禍が、私をどんどん孤独の沼に沈めます。
このままでは、自分が壊れる。そう思い、夫のかかりつけ医に提案された、認知症病棟に夫を入院させようと、ほぼ決めました。病院なら、額の傷口になにかあっても、処置してくれるでしょう。
ただ、決めきれなかったのは、自分の意に反して入院させられる夫の気持ちを考えたのもありますが、退院したとき、夫の感情が色あせていたらと思うと、それが怖かった。
この先、夫がなにもできなくなってしまっても、最後まで、心を動かせる人であってほしい。更にはそれが、心地よい心の動きであってほしい。それが、私の願いだからです。
だからといって、私はこのままでは、耐えれそうにありません。
こんな私の話を聞いてほしくて、いつも私の泣き言を聞いてくれる、認知症のお母さんを介護していた知り合いに電話をしました。
そこで私が、夫を認知症病棟に入院させようと思う、と言ったときの知り合いの反応が「ん、、、どうかなぁ、、、」という感じだったんです。
自分の親を認知症病棟に入院させたことがある経験者の反応が、それです。そうなると、やっぱり、ちょっと、尻込みしますよね。でも、経験者として素直な反応を聞けてよかったです。
さらに、あれこれ話を聞いてもらって、経験談を聞かせてもらって、結果、夫を入院させることはやめました
知り合いが、私を、思いとどまらせようとしたわけではなく、私が無理だと思うのなら、入院させるのがいいと思う、とも言ってくれました。
では、なぜあのとき、自分が思いとどまったのか、それは、私の夫への思いを、誰かに話すことで、再確認できたからだと思います。
あの頃も、今も、私が思っているのは、もし夫の感情を薬で奪うのなら、それは私の目の前で行われてほしい。夫が壊れていくのなら、その傍には私がいたい。夫が自分を壊す誰かを憎むのなら、目の前の私を憎んでほしい。もし私が夫を傷つけるのなら、きっと夫は私を赦してくれる。夫との約束があるから。
私はこの後、自分の心を守ることと、夫の心を殺さないこと、それを両立させようと、自分の深淵で沈吟することになります。